稽古を通じて Our purpose of training

その歴史と思想

 数多くの戦乱を経た長い歴史の中で、これまで日本では、非常に高度な戦闘技術が開発されてきました。やがて武士の時代が終わりを告げ、近代戦の発展と、さらに戦後のGHQによる占領下での武道禁止の時代を経て、それまでの武道はスポーツへと、その姿を変えてしまいました。現在学校教育に取り入れられている柔道、剣道、空手などがその代表です。

 これらは命をかけた生き死にの武道から、勝ち負けのスポーツとなった事により、その本質は失われ、のちにさまざまな問題も生じてしまいました。

 しかし、ごくわずかながら残された伝統と、すぐれた師範たちの努力により、古来より伝えられた本物の武道の道統は、現代にも脈々と受け継がれています。

 そのような武術のひとつがこの武神館武道です。

 そして路上の実戦などで本当に生き残るために必要な技術として、武神館武道は今や、世界中の軍隊、警察、特殊部隊、あるいは諜報機関関係者、SPなどからも学ばれるに到っています。


本物の古武道とは

 一般に「古武道」と聞けば、単なる伝統芸能の一つと思われる向きもあるかもしれませんが、実際に遣える、生きた「古武道」、それがこの「武神館武道」です。

 また、単なる技術としてではなく、生き延びるため、あるいは生きるために本当に必要なこととは何か、その本質を学ぶことが、武道を修行する大切な目的と言えます。


そのめざすところ

 我々が武道を学ぶ目的とは何でしょうか? 

 強くなりたい、日本の文化を深く知りたい、サムライになりたい、忍者に憧れている、手裏剣を投げてみたい、などなど、それぞれにおありでしょう。

 実は、そのすべての要求を満たすことが、この武神館武道にはできます。そして学べば学ぶほど、その深遠なる世界に、より魅せられていくことになると思います。

 しかしながら、武道には本質的には、自らが生き延びるために、必要とあらば相手の戦闘能力や、あるいは時には命を奪うことが求められます。だとすればこれはひどく動物的で、野蛮なものなのでしょうか? いいえ違います。誰もが自分の命が惜しいのと同じように、相手にもかけがえのない命があるということを知ること。そして稽古を通じて自らの痛みを知ることは、相手の痛みを知ることと同じことなのです。そこから生まれる本当の強さ、優しさは、勝ち負けのみに拘り、相手を打ち負かし、踏みつけながらトーナメントに勝ち進むことを至上とした、スポーツの世界では絶対に学ぶことは出来ません。ルールに則り、技量や体力を競うスポーツにスポーツマンシップというものがあるように、ルールに縛られない武道の世界にも、同様のものがあります。これを仮にBudomanship(私の造語です)とでも呼べるでしょうか。

 我々の流儀に伝わる言葉に「花情竹性」とあります。これは、花のように優しく、竹のように真っ直ぐな心を持ったもののみが、本当の強さを身につけることが出来るという意味なのです。

武道家のありかた(Budomanship)とは

 例えば、単に畳の上でしか通用しない礼儀作法など、形だけ覚えていても実践では何の役にも立ちはしません。ましてや外国など異文化の中で、いくら「これが日本の伝統だ」などと声高に叫んでみたところで、閉鎖的な形式主義などいったい何の役に立つのでしょうか。

 本当の戦いのなかで生まれる、相手に対する敬意や、命への慈しみこそが武士道の根本です。そしてそこから生まれる、自然で本質的、かつ普遍的な思考や立ち居振る舞い、それが武人としての礼儀となるのです。武道を学ぶ目的は、必ずしも礼儀や躾にはありませんが、結果として、こういった心と態度を備えた武人として育つこと、そしてその心を以て、広く世界に目の開かれた人材となること。それこそが正しく武道を学ぶということなのです。

武神館円月道場

武神館道場武道体術を学べる、東海地区唯一の道場です。
This is a only 1 Bujinkan's dojo located in central Japan area.

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